日常的に使われているコンタクトレンズについて、あまり知られていないその歴史や誕生の仕方など、詳しく調べました!
コンタクトレンズを使うとなぜ視力が矯正されるのか?という原理や誕生から現在までの進化の過程です。
視力を矯正するコンタクトレンズの原理と歴史
現在日常的に使われているコンタクトレンズですが、意外と知られていないその誕生の歴史と原理について説明していきましょう!
コンタクトレンズの原理の発見は古く、1508年にレオナルド・ダ・ヴィンチが凹凸のある角膜でも水を満たした容器などに目をつけることで良く見えるようになることを論じています。
19世紀の終わり頃、ガラスのレンズを用いて様々な研究者が実験を行ないましたが、眼の表面全体を覆うものでレンズが硬く、装用感が悪かったため、長い時間を使うようなものではありませんでした。
しかし、1940年代にポリチルメタクリレートを素材とするハードコンタクトレンズ(PMMA)が開発され、それにより一般に普及するようになりました。
PMMA製のレンズが開発され、一般にも普及しましたが、そのレンズ装用の慣れには時間が必要で、また酸素を透過しないために一日の装用時間に限界がありました。
そして、1970年代に酸素を透過するハードコンタクトが開発され、更に装用感の改善などが行われたことで、現在のハードコンタクトが誕生したのです。
ソフトコンタクトレンズは、1960年代にソフトコンタクトレンズの素材となるアクリル系ハイドロゲル (HEMA)が開発されたものが始まりといわれています。
ソフトコンタクトは装用感が良く、普及が早かったのですが、それに伴い、目の感染症が多数報告されました。
コンタクトの汚れやタンパク質が感染症を引き起こしている原因である事が分かり、トラブルを起こす前に新しいものと交換するという考えが生まれ、1980年代に使い捨てコンタクトレンズが市販されるようになりました。 これが現在の使い捨てソフトコンタクトレンズの元となります。
コンタクトレンズを初めて日本で装用したのは、目に疾患を持っていた高校生です。1949年、ニチコン創業者である眼科医の水谷豊氏の元に、高校生と母親がやってきました。高校生は「円錐(えんすい)角膜」という病気を持っており、視力は左目0.04、右目0.02で、メガネを使った矯正をすることは難しい状態でした。「視力が低いせいで勉強などに支障が出ている」と相談された水谷氏は、海外のガラス製コンタクトレンズの事例を思い出し、自宅でコンタクトレンズの製作に取り組みました。
翌年の1950年にコンタクトレンズが完成し、高校生の目に装用したところ、視力は左目0.4、右目0.9まで回復し、喜ばれました。水谷氏はコンタクトレンズの研究を進め、1958年には、コンタクトレンズの生産を本格的に行うための会社を設立しました。
簡単に目元の印象をチェンジできることで知られる「カラーコンタクトレンズ」。カラーやデザインも豊富で、若い女性を中心に人気があります。学生や社会人の人も、平日は通常のコンタクトレンズで休日はカラーコンタクトレンズにするなど、使いわけて楽しむ人もいます。
カラーコンタクトレンズが日本で流通するようになったのは、1990年代以降と比較的最近です。一番初めにカラーコンタクトレンズが登場したころは、芸能人など、ごく一部の人だけが使用していました。やがて徐々にカラーコンタクトレンズの存在が知られていき、一般の人もカラーコンタクトレンズをファッションアイテムとして装用するようになってきました。
カラーコンタクトレンズには「度あり」、「度なし」の2種類があり、以前は度なしのカラーコンタクトレンズは「雑貨」という扱いでしたが、2009年からは度なしのカラーコンタクトレンズも「高度医療機器」扱いとなりました。現在はドラッグストアなどでも販売されているカラーコンタクトレンズですが、初めて装用するときには必ず眼科で診断を受ける必要があります。
今回は、コンタクトレンズの歴史と原理についてご紹介しました。現在は当たり前のように販売されているコンタクトレンズですが、安全で快適な商品が流通するまでには、開発者の研究や工夫・努力があったということがわかりますね。
更新日:2016/01/25
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